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【vol. 51】グリーン✖️アート✖️ベンチは、「開発」の三種の神器⁉︎

  • sugiura909
  • 7月23日
  • 読了時間: 2分

更新日:7月24日

最近の都市型再開発の複合施設のお披露目のプロモーションで目玉として語られること。

緑や水といった自然を感じられる快適な環境=グリーン、

都市空間に恒常的な価値としての知的財産=アート、

そして、とにかくちょっと足を止めて(タダで)過ごせる場所=ベンチ。

いづれも環境として整備するのに当たって、コンセプトや意義、その効果を議論して、いくつかのハードルを超えて、実現にこぎつけたであろうことは、想像に難くない。なぜなら、それらは、コストはかかるが、直接収益を生むものではない。しかし、今の時代にそれらが揃ってない環境は、もはや、話題の選択肢にさえならない。新しい環境には、なくてはならない要素として、まるで、「三種の神器」の如く、今やそれが開発の成否を分けるかのように熱心に取り組まれる。



一方で、そのような快適な開発の一部には、まるで、路地裏に来たようなわい雑感のあるのれん横丁的な飲食ゾーンや市場的な食物販&イートインゾーンをあえて、ビルの中に作り込む。これももはや定石なっていると思う。神器と対になる庶民の居場所、相反する要素を「ハイブリッド」に導入することで、全体的には、非効率的なエリアも多いが、一部は効率的に稼ぐという構造だ。そうなると、この稼ぎ頭がうまく集客してくれないとなると、当初の思惑が崩れる。



ここのところ、開発の構造も似たり寄ったりになってきてることは歪めない。隣接して同じような開発が乱立すると、その成否はお客様の動向に左右される。元来、お客様は移り気である。新しいものができれば、そちらに行く。そして、一度はいくが、その後は、、、?

お客様である普通の人々には、グリーンやアートやベンチの設えは一度享受してしまうと、特別なことではなくなるような気がする。与えられすぎるとありがたみももなくなるというもの。あって、当たり前。


その上、今はSNSで話題になったところだけに行く、「つまみ食い」のような動向がもはや常道。仕掛ける側とつまむ側のバトルが主戦場。いくら仕掛けたつもりでも、案外と思惑は外れるもの。開発はオープンしてからが本番。当たり前のようで、その初動に対する対策、人材、予算を組んでるところがどれだけあるだろうか?

開発のコストコントロールは、オープンまでが開発費、オープン後は運営費という考え方自体を「ハイブリッド」にする必要があると思う。



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