先ほど、「葉山ビーチキャンドル」という浜辺でキャンドルナイトというコミュニテイイベントに遭遇した。成り行きを見ていると、昼頃から数人のスタッフが浜辺にゾーニングを始め、グリッドごとに指示書を砂に置いていく。その後、午後2時くらいからバラバラと親子連れなどが三々五々集まってきて、砂の上の指示書に合わせて透明カップを置いていく。あっという間に図柄が出来上がり、その後、午後4時くらいからチャッカマンを片手にした人々がどこからともなくゾロゾロやってきて、それぞれがカップの中に蝋燭の火を灯していく。まだ、明るいが、周りにテントの屋台もあり、海を背景にバンドや太鼓、ダンスも。それらを楽しんでいるうちに日が暮れて美しいサンセットと共にキャンドルが浮かび上がってくる。それは、なんとも言えない豊かな時間をそこに集まった人々とまったりと共有する体験となった。
誰がどのようにしかけたのか、ネットでググると、地元の若手有志の団体。地元に密着してるからこそ、現地の人々には口コミか、SNSか、一部チラシもあったようだが、いづれにせよ、情報が行き渡ってたのか、イベントの一部始終に主催者も参加者も双方に全く無理がない、自然体の流れという印象だった。イベントというと、主催者がマイクで促したり、スタッフが仕切ったりするものだが、多少の呼びかけはあっても、集まってきた人々がそれぞれ難なく参加して、柔軟で自由でゆるやかなのだ。海辺という環境もあると思うが、そのおおらかさが醸し出す空気感がとても居心地が良かった。
最近のプロデュース界隈では、とかく「コミュニティ」がキーワードとなっている。が、往々にして問題になるのは、誰がどう運営していくのか、ということ。そこでは、あくまで、運営=仕掛ける側、仕切る側と言った提供者をイメージしがち。とても面倒な役割にしか思えないし、その役割を担うのは負担となる。
果たしてそうなのだろうか?
どこかにボタンの掛け違えみたいな違和感を持っていたのが、このイベントでの体感で、なんとなく解きほぐせそうな感じを得た。それは、運営側も参加者も同じく共に楽しむことだけがその目的であり、あとは役割に過ぎず、それぞれがその役割を自覚し、責任を持って担うこと。
そういう状況はいかにつくられるのか?
実は、デジタルやネットをフル活用することが、案外容易にしてくれるのではないか。デジタルネーティヴの世代にとってはなんの抵抗もなく、全く負荷ではないのかもしれない。今回のイベントで、浜辺に簡単にグリッドに指示書を配置できたのは、パソコンで作図が容易にできたからだと思うし、人々が言われなくとも作業ができたのは、前もってSNSなどで、ことの次第を把握してたからではないか。
リアルで有意義な時間がナチュラルにつくられるのは、次世代とデジタルの力があれば、案ずるより易し?