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【vol.19】まちづくりのオセロゲーム

過日、京都の学生さんにレクチャーするのに、やはり、身近な街の事例がいいだろうと、京都の中心市街地の一角を取り上げてみた。

三条ー四条、烏丸ー河原町という、おそらく京都で商業施設が最も多いブロック、今でこそ、多くの来街者が縦横無尽に街歩きを楽しむエリア。

しかし、約四半世紀前は、高島屋、大丸という百貨店がある四条、ファッションビルがある河原町通しか、人は歩いてなかったと記憶してる。今でこそ、海外からも多くの観光客で賑わう錦市場はプロだけの市場、アーケードの寺町は修学旅行生、といった具合であった。

この一角のエポックメーキングは、2000年前後。まず、1997年に地下鉄の東西線が開通、京都市役所前駅ができて、四方を駅が囲む。1998年に三条の東寄りの元毎日新聞社がリノベーションされて、小劇場やカフェのあるカルチャー発信施設に。一躍、当時の若者を惹きつけ、クランクしてる三条を西に足を踏み入れさせた。それを追うように、点在して残る洋風建造物などがリノベーションして商業施設になり、比較的町屋の風情を残した開発で店が増えていった。2001年にこのブロックの西端に元電電公社がやはり昭和初期に建てられた旧館を残す形で、広場のある商業施設「新風館」としてオープン。これで、三条の東西がつながり、街歩きの路になり、店舗開発に拍車がかかった。となると、三条から南へ、さらに曲がって次の通りへと、碁盤の目状に広がっていき、そして、2020年にさらに新風館がACE HOTELを中核にリノベーションされ、新たな局面に入った。


このように、街の端の一角に商業施設ができると通りに店が増えつつ変わり始め、もう一方に端に核となる商業施設ができると、まるで、通りが一変していく様を、私は、「まちづくりのオセロゲーム」といっている。この京都中心部のブロックはとてもシンボリックな事例だと思う。というのも、このオセロゲームができるのは、商業だけだと思うから。もし、最初の元毎日新聞社がやはりオフィスへの建て替えだったら、あるいはマンションだったら、このような経緯にはならなかったと思う。多少の人口増はあったにしても、今も、ここに元々住まう方々の聖域だっただろう。ことの是非はあると思うが、街は多くの人々に解放された。しかも、おおよそ、街並みを保存する形のリノベーションが、ここでの定石となっている。さすがの京都らしさという聖域を継承しているベクトルがあると思う。






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