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【vol.20】まちづくりの起点

長らく、都心では、駅立地、駅チカというのは街の優位性として認識されてきた。人は駅に降り立って動く、駅が街の入り口であり、行動の起点である。そのことに変わりはない。その場所そのものが目的地であるオフィスなどは、駅チカは優位である。しかし、「まちづくり」という点では、商業施設は、時にして人々を歩かせてきた。それも、人々は、自ら喜んで、楽しんで「まちあるき」してきた。


例えば、先のコラム【vol.19】で取り上げた、京都の中心市街地、三条ー四条、烏丸ー河原町のブロックがわかりやすい事例である。東京の事例としては、弊社近隣の渋谷原宿エリアもまた、古くは、70年代に渋谷にパルコ、原宿にラフォーレができ、80年代に路面の街がつながり、90年代に裏通がキャットストリートになり、街の回遊がうまれ、2000年代に表参道ヒルズができ、ブランドストリートへと発展した。が、2020年を前にして、コロナ禍となり、街の様相は一変した。ここにきて、インバウンドを含む多くの人々が街に戻ってきてるものの、その行動の起点は駅では無く、駅は通過点となっている。人々は皆、すかさず、スマホを手にそれぞれの目的地に足を向ける。


おそらく、2010年代頃までは、移動の拠点が行動の起点になっており、電車の駅が街の入り口、車の駐車場がショツピングセンターの入り口であった。一方、スマホの普及率は2015年に50%を超え、インスタグラムなどのSNSが飛躍的に浸透し始めた潮目だったと思う。ちなみに2023年のスマホ普及率は96%超となっている。人々の行動の起点はスマホからの情報、グーグルやインスタ検索、あるいは検索サイトに変化した。その検索には、駅前も駅チカもほぼ関係ない、全く違う価値観が順位を上げている。その順位を決めるシステム要因を突き詰めるのは難しいが、その情報が人を歩かせるだけの価値があるかどうかを問われてるのは、確かだ。

人の行動の起点がそれぞれの目的地になったとして、リアルな場所が情報に勝る魅力がなければ、次にはつながらない。ましてや、単に小判鮫の如く、ただ横に並んでるだけの店は相手にされない。発信がなければ、価値が確認ができないからだ。しかし、その周辺に発信も続くようなものがあれば、新たな界隈が生まれる可能性がある。まちづくりの様相も空中戦となりつつある。




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