初めての駅前や大きなビルの前の漠然と広がったただの広場に戸惑いを覚え、傍にそれて歩くことはないだろうか?
たとえ、天気が良くてのんびりできそうな時でさえ、所在ない。また、多くの人で賑わってればそれはそれで、人のいく方向に流されてただただ通過してしまいがちである。
そもそも、広場といえば寺社仏閣の境内くらいで、公園は輸入文化だからか、公共だからか、未だ所在ないものが多い。曖昧な存在なので、誰もいない時に一歩踏み入れて過ごすことに躊躇するきらいがある。もちろん個人差があるので一概に言えないが、どうも、我々日本人は横並び志向で「一人一人が想い想いに過ごす」というのが苦手かもしれない。
ところが、子供達は気になるものがあれば一人でも寄っていくし、その場にあるものに素直に反応し、それ以上の活用方法を見出していく。となると、大人になると広場が使えなくなるのか?それは「人の目」を気にするという習性が出てくるからではないだろうか?広場や公園で大の大人がただじっとしてるように見えるのは変な人という見方が染み付いてるのではないか。今はスマホをいじってればいいので、どこでも所在なさはないけれど、それとて、誰もがしてる行為なので、「一人一人が想い想いに過ごす」というより、存在を消してるに過ぎない。
もはや、「一人一人が想い想いに過ごす」という非現実的な概念は捨てて、「人の目」を気にする日本人の大人が使える公園や広場を目指すべきだと思う。
そこには、見られた時に明確な存在意義、明らかにどういうことをしてればいいのか、を規定する設え。例えば、そこは動く場所なのか、止まる場所なのか。見たり見られたりしにくいような目線の段差、向き。そいういう配慮が必要だと思う。そして、さらには、SNSでの使い方指南。あの広場でこんなことしてるのが素敵、あんな感じでいるのが気持ちよさそう、となる画像を見れば自ずと使い方もわかってくると思う。
が、横並びが好きな日本人、今度は、同じ画像を撮るだけに広場にくることになるかもしれない。。。さらなる、情報のアップデートが必要になってくる。広場や公園の管理とは、SNSの発信ということになるかもしれない。
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